お留守番のあとに。

RIIZEあれだな、ほんとに「昔っぽい」曲しかやらない主義なんだな。

【映画】アイ、トーニャ(2017米)

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ナンシー・ケリガン襲撃事件」が起きたのは、94年リレハンメル五輪直前のこと。ライバルのトーニャ・ハーディングが首謀者なんじゃないか?ってことで大騒ぎになった事件です。平成生まれの皆さんにとっては、1ミリもご存じない世界でしょうが、私のようなどっぷり昭和世代にとっては、「ああっ、あれね!」的に鮮やかに思い出せるビッグなスキャンダル。当時は、ニッポンのテレビや週刊誌もかなり食い気味で取材してて、結構騒いだものです。


その事件を核に、トーニャの半生を描いた映画が「アイ、トーニャ」。
すっごく面白かったし、懐かしかったし(?)悲しかったし悔しかったし呆れたし、いろいろ考えさせられて、心底楽しみました。大満足です! 毒母役のアリソンさんが、アカデミー賞を獲ったのも、大納得。ほんとすごかったです。だけど、その後ふと目にする、雑誌やネットに出てるこの映画のレビューや感想が、どうも「私のいってほしいことを言ってくれてない」的な、もひとつスッキリしないとこがありまして、あれ、私がおかしいのかなーと思うようになりました。

 

まず、トーニャ・ハーディングって選手は、伊藤みどりに続いて、世界で2番目にトリプルアクセルを成功させた女性なんです。全米初。ものすごい偉業なのです。トリプルアクセルを女子で跳ぶというのは、当然身体能力とかジャンプセンスとかが重要なのでしょうが、それにしたって、ものすごく練習しないといけない。そうでしょ? 死ぬほど練習してもできない選手がほとんどなわけですから、本当に限られた一握りの人しかできない技。すごいことなのです。
その辺がね、もうちょっと詳しく深いドラマを見せてほしかった。いや、もちろん、トーニャがガンガン登りつめて、トリプルアクセルの成功とともに、全米チャンピオンになるまでの描写は、かなり尺もあるし、ガンガンいくさまが小気味よいのですが、そうじゃなくて、もっとこう技てきなことを教えてほしかった。だって、「下品だ」「生意気だ」「無法者だ」という精神的な強さだけでは、できないわけじゃないですかトリプルアクセルって。万引きするみたいに、パっと手っ取り早く盗んできて、努力をスキップして獲得できるようなものじゃない。それなりに苦労して、ど根性でモノにしたはずなのになー。どういう葛藤と指導と練習で獲得したのか、それ見たかったわーーっていうのが一点。


伊藤みどり含め、これまでで公式でトリプルアクセル跳べたのは、世界で8人とか9人しかいないんですが、その中で、トーニャは、転んで失敗したことはあっても、成功するときは一度も回転不足をとられたことがない、それくらいのジャンパーらしいんですよ。もちろんアクセル跳べなくても金メダルは獲れるって話ですけど、「誰もできないことが私にはできる」っていうその一点において、やっぱり私はすごいなーと思ってしまう。そればっかり考えてしまう。その偉業を、そういうアスリートの面をもうちょっと見たかったな、と。

 

そして、白人貧困層出身の彼女は、とにかく「品がない」育ち方をしていて、子供の頃から下品極まりない言動が目立ってたため、とかく「上品さ」を大事にしている全米フィギュアスケート協会、並びに、アメリカ人フィギュア好きの人々に、存在から嫌われ疎まれきっていた。っていうストーリー。そこなんです。そこんとこがね。


「スケートに品を求める」のは、大変結構なことです。
たしかに、「氷上のバレエ」だし、華やかな衣装、派手なメーク、そして音楽にあわせて踊るというそれだけから考えても「芸術」と思える点はたくさんありましょう。でも、フィギュアスケートは、スポーツ。クラシックバレエは芸術、でも、フィギュアスケートはれっきとした競技スポーツなのです。
だから、品に欠けるとか貧困層の人だとかそういうことで、フェアに選手を見ないというのは、おかしい..ひどい。昔のことですし、アメリカは多民族だし貧富の差が激しいし、何かと差別社会かもしれないけど、一般のアメリカ国民のみならず、あれみるとどうも全米協会とか審査員1人1人が全然フェアじゃなかったみたいですもの。スポーツなのに。そこがちょっと悔しい。そして悲しい。


そういう意味で、これは「貧乏人差別」の映画でもあると思うんです。

貧乏だからああいう状況でしかスケートできなくて、どんなにど根性で頑張ってもひっくり返すことはできなくて、立ち回りが悪くていつも事後事後にまわってしまって、その場限りの対応してるから、「ほうらね、結局育ちの悪い人って、そういうことをしちゃうのよ」という結果になってしまっただけ。(そりゃ本人たちがよくないにしろ)貧乏人が苦労して下剋上をする!というスカっとした話じゃないんですよ。結局、貧困とDVに負け腐った女の話で・・・そういう見方すると本当につらい映画です。


ドーピングしてたわけでもない、ルールを破ったわけでもない、貧乏人であろうと品があろうとなかろうと、跳んだら跳んだになるわけなのに、どんな時も、業界としてはちゃんと全員フェアに応援する姿勢でいてほしい。てか、もっと適切なサポートがあれば、適切な教育とか指導があれば、彼女側も真人間になってたろうし、結果スケートも飛躍的に伸びたんじゃないかなあ。そしたらゆくゆくはアメリカ国のためになったのに。甘いですか? サポートしようという気にならないくらい日常的言動がひどくてお話にならなかったんですかね? とにかく、「フュギュアはお金持ちのスポーツなので、貧乏出身の人はいくら能力があっても認めません、すっこんでて下さい」って雰囲気がプンプンしてて、いやな感じでした。


しかし。だからといって、犯罪おこしていいといってるわけじゃない。

そりゃもう最悪。ライバルをわざとケガさせるというつい最近どっかで聞いたような最悪の事件を起こしてしまったらもう終わりです。貧乏もフェアもアクセル跳ぼうが満点だそうが全然関係なくなる。厳正に裁かれて当然だし貧乏やいじめは言い訳にならない。あれ、ナンシーが早期に復帰できて、しかも五輪で銀メダルを獲れたからよかったようものの、もっと大けがだったら大変でした。

 

この映画、そもそも、スケートのことを掘り下げようという気がないみたいだし、かといって、事件の真相を詳らかにしようという意図もないんです。ただ、トーニャという貧困層の女性が、環境も言動も貧困で行き当たりばったりなもので、こんなえらいことになったんですよ、すごいでしょ。っていうドラマでしかないような。


日本のテレビでは、彼女は実行犯でも首謀者でもないかもしれないけれど、最初からずっと加担して全て知ってたんじゃないかって報道色が強かったように思います。そして、それを見てた日本国民も大概のひとが「そりゃそうだろう。あれは黒だわ」と思ってたように思います。

 

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実際に、トーニャがどういう人物なのかはわからないのですが、あれだけのことがあって、あれだけいろいろ嫌なことばっかりで、スケートのために人生棒に振ったというのは本当なのに、

主演マーゴット・ロビーが、撮影のためにスケートの猛特訓を受けて、トーニャ本人に「身体中がボロボロになって、とても苦労しています」って答えたら、トーニャは「あら! 私が直接教えに行きましょうか?」って即効で返事をよこしたというエピソードが好きです。この人は、ほかのことはどうだか知らないけど、やっぱり、スケートのことはもう本能的に好きなんだろうなと思いました。(あと思ったことを何も考えずすぐ口にするタイプなんだなあと)裁判所でも、「スケートだけは取り上げないでください牢屋に入ります」って泣いてたもんなあ。ほんとに、この人からスケートとったら何も残らないもんね。

 

大体、小さい時からスケートやりたいといってきかなかった、あの毒母をも動かして、そして、そのあと、母親の稼ぎを全部コーチ代につぎ込ませるだなんて、相当ですよ。徹頭徹尾、毒母として描かれてた母親ですが、よく考えてみたら、そこにどんな魂胆があるにせよ、自分が毎日毎日ウエイトレスをして稼いでくるお金を全部スケートにつぎ込んでくれるなんて、いやーーなかなかできないことです。私にはできません。それを何年も何年もやり続けて、しかもリンクにつれてったりずっと付き添ってたりするわけでしょ。とてもできない。それを愛とよぶべきかどうか知りませんが、相当の情熱と根気がないと(あと貧乏に耐える根性)できないことはたしか。ただのDV母でもないような気がします。

 

てことで、この映画を、アスリートとしてのフュギュアスケーター面から考えてみると、いろいろとスポーツ界もいろいろな事情があって大変そうだと思いました。まあ、絵に描いたような最悪な事件でしたけど、例えば、本物の女子フュギュアスケーターの人の映画感想とか、聞いてみたいような気がします。だって、今もって、この日本でさえ、フュギュアスケートはお金持ちのスポーツといわれてるみたいですから。そういや、ニッポン人てスケートに向いてるらしいんですよ、トリプルアクセル成功者の半分日本人ですし。もっとリンクつくったり助成金出したりできるようになると、ほんといいんですけどね。